ひと時の過ちが 
人生を変えてしまう

ALTER THE LIFE MISTAKES OF MOMENTS
  
人生を変えたいと思った
やり直したいと思った
けど世間は冷たかった
人生はやり直せます
しかし 一度ついてしまったレッテルはなかなか消えません。 自身の辛い経験から 同じような人を減らす為に 彼は今 合同会社Next Innovationで働きながら 法務省認定就労支援協会雇用主の元で講師という立場で 活動をしています。

いなば氏のコラム

活動の一環として刑務所内に向けてコラムの連載もしております。
その中の一部をご紹介させて頂きます。
分かってくれとは言いません。でもこんなやつもいるんだと知ってくれるだけでいいです。

あの暑い野原のまんなかで、
いまも毎日はたらいている

あのイーハトーヴォの岩礁の多い奇麗きれいな海岸へ行って今ごろありもしない卵をさがせというのはこれは慰労いろう休暇のつもりなのだ。それほどわたくしが所長にもみんなにも働いていると思われていたのか、ありがたいありがたいと心の中で雀躍じゃくやくしました。

叮嚀ていねいに礼をして室を出ました。それからその辞令をみんなに一人ずつ見せて挨拶してあるき、おしまいに会計に行きましたら、会計の老人はちょっと渋い顔付きはしていましたが、だまってわたくしの印を受け取って大きな紙幣を八枚も渡してくれました。ほかに役所の大きな写真器械や双眼鏡も借りました。

あのイーハトーヴォの岩礁の多い奇麗きれいな海岸へ行って今ごろありもしない卵をさがせというのはこれは慰労いろう休暇のつもりなのだ。

薬事法違反で逮捕・刑務所への送還

その日はある日突然やってきた。29歳仕事も遊びも順調だった時、突然ドアを叩く音と共に警察官が入ってきた「薬事法違反」投げやりの気持ちでいっぱいだった。仲間が捕まり、芋づる式に私の所にも捜査の手が伸びて来た事はすぐに判った。

快晴の日、昭和45年1月27日東京都文京区千駄木で稲葉義幸の姓名を受け男兄弟の末っ子として私は生まれた。家は商店街の中にあり子供の頃は格好の遊び場だった。中学、高校とこの下町気質な心意気の町で私は普通の子供として育ち、学び、大人への階段を順調に歩んでいた。

高校を卒業後水商売の道に入り、六本木、渋谷、新宿のクラブやディスコ、カジノバーの仕事をする事になった。ネオン街の街並みは18歳の頃の私には刺激的で心が躍る気持ちでいっぱいだった。 薬に手を出し始めたのは26歳の頃からだったとおもう。最初は好奇心から友達に誘われるままに使ってみた。悪い事だと解っていたがそれ以上に仲間との刺激な時間の方が勝っていた。日が経つにつれてより強い薬へ手を出す様になったが、自分は捕まることは無いと安易に物事を考えていた。

警察から検察に送られ、裁判に掛けられた。その時の心境は「どうでもいいや」と投げやりな気持ちだった、判決は「懲役2年6ヶ月執行猶予3年」

執行猶予中も相変わらず悪友との付き合い、以前と変わらない生活を送っていたあと少しで執行猶予が終わる32歳の時、町で警察官に職質をかけられ尿検査の結果は陽性、大分刑務所へ送還された。4年間刑務所内で反省の日々をおくり作業に準ずる日々が続いた。

自分に負けて投げやりに・再犯逮捕

出所後は今までとは違う人生を歩み、洋菓子店に勤めた銀座松坂屋にも店を持つタルトで有名なお店だった。又、六本木ヒルズ内にBARを出す仕事にも殉じ日々真面目に務める毎日だったが、会社や同僚には刑務所に居た事を隠す生活は時として嘘を話さなければいけない状況だったし、その嘘をつく事がとても辛かった。本当の自分をさらけ出して生きている同僚が羨ましかったし、それができない自分に対して自責の念にかられていた。

六本木ヒルズの店の経営が上手くいかなくなると転職を余儀なくされた。新聞の拡張員の仕事を始めた。“ 暴力と怒号が支配する職場! フルコミ営業職の新聞拡張員 ”某有名雑誌が取り上げた記事の通り、罵倒される事も多く職場でのストレスは今思い出しても相当な物だった。それでも努力し東京南部で800名中の50名に入り9回表彰台に上がり指導員になった。

職場で同僚に本当の自分を話せない、自分をさらけ出せる友達は懲役前に付き合っていた悪友達だけ、それでも彼らは自分が置かれている状況を親身になって聞いてくれたし、聞いてもらう事で心が救われる事が多々あり、彼らとの頻繁に会うようになった。 もう二度と手を出すまいと思った覚せい剤も、1回だけならばと手を出したのは丁度その時期だった。44歳 再犯逮捕

気持ちの中で自分が犯した罪を他人の責任にした。もうどうでも良かった。真面目に働いても自分の全てをさらけ出せないのであるならば、刑が確定しても控訴する事もしなかった。懲役2年 網走刑務所

内縁の妻から時々手紙が来た、40歳からでもやり直せる 何時も励ましの言葉で埋め尽くされた手紙を読む度に、涙が出てきた。「もう一旗あげたい」心底からそう思った。 辛い労働、極寒の地で地道に働いた。優良受刑囚になり雪かきの仕事もした。深々と降る雪をかき出す作業は肉体的に辛い仕事だったが、出所後に体力の必要な仕事に就いた時を思うと決して辛い仕事ではなかった。

Next Innovationとの出会い・世間の風当たり

出所後、お兄さんの仕事を手伝いながら自分に出来る仕事を探した。インターネットの発達、スマートフォーン等からの買い物が増える中で軽自動車の配送が今後有望な仕事ではないかと以前より考え、職安を通じて何社かに応募をしたが断られ続けた。やっぱり元受刑者では難しいのかと思っていた時、新会社で軽自動車の配送を始めた会社を目にした

合同会社Next Innovation。

直ぐに電話を掛け、面接をして貰った。社長は海外生活が長く普通の日本人とは違い自分の過去を話すと、「もっと悪い人は沢山いるよ、今まで大変だったね」と全てを聞いてくれて採用してくれた。

海外式のマネージメント、日本の企業との違いは結果主義。仕事は辛いし拘束時間も長い。 しかし、自分が仕事を覚えて出来る様になると自然と同僚に自分の過去を話す事ができた。心の底迄は判らないが、誰一人とし差別や偏見の目で見る同僚は居なかった。自分を出せる事がこんなに気分の良い事なんだと今更ながらおもう。

しかし、世間は会社内とは違っていた。 配達車両が歩道を横断しようとした際に、高齢の女性が運転する自転車が前を横切った接触はしなかったが女性が足を擦りむいた。一様警察に連絡をした。

警察官は事故の事より自分の犯罪履歴から覚せい剤保持を疑い、業務終了後に出頭を命じられた。その理不尽な気持ちを押し隠す事に精一杯だった。業務終了後に警察署に出頭する際に定期的に電話がかかってきて場所を聞かれた。出頭すると15人の警察官が僕を迎えてくれた。
事故の処理で出頭したにも関わらず、すぐに尿検査を強要された。陰性の結果共に15人の警察官が1人になり帰ってよいと言われた。

悔しかった。

ある日、一方通行に間違って逆侵入してしまった。大通りに面した人通りの多い場所で居合わせた警察官に止められた。反則キップを切られると思ったら、車内の検査、身体検査、バックの中身の検査を強要され、その後靴を脱いで路上で直立不動になる様に強制された。通行人の目線がとても恥ずかしかった。

休みの日に家の前に車を止めて荷物の出し入れをしていた時に、警察官が巡回してきた。 免許書を見せると大きな声でその場で尿検査をするのでおしっこをする様に指示された。その声があまりにも大きいので、家の中から母が出てきて警察官に抗議をしてその場での尿検査をする必要は無くなったが、近所の方々が何が起こったのか集まってきた。


一回の過ちは消えません、ですが努力をしていれば必ず報われる時が来ます。

警察官だけではない、一般の人も刑務所から出てきたと言う事実を聞いた瞬間に態度が豹変する。真面目に更生をする為に人一倍努力をしていてもこれが世間の悲しい現実なんだと話せます。
この様な体験から嫌気がさして再び犯罪に手を染める事が再犯率60%の数字なんだと社長は話しています。

 これを読まれる受刑者の方々に伝えたい事があります。世間の目は我々の予想以上に冷たく理不尽です。ストレス解消の為に1回悪い事をすれば必ず捕まります。その1回で失う物は計り知れない物です。我慢をすればいずれ我慢ができなくなる瞬間が訪れます。

 努力をして働いていれば味方になってくれる人が必ず現れます。

自分の全てを受け入れてくれる人達を失いたくないと思えば理不尽な事も乗り切れます。最終的に自分が自分の将来の鍵を持っている事を忘れないでください。  

最後になりますが、私が荷物を届けに行った際に心から「有難う御座います。」と言われた時の清々しさは何事にも代えられない気持ちです。

これを読まれる全ての方に素晴らしい未来が来る事を心よりお祈りし私のコラムを終わらせて頂きます。
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合同会社Next Innovation

法務省認定就労支援協力者として就職難民者の支援をしております
夏でも底に冷たさをもつ青、
うつくしい森で飾られたモリーオ市
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